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【茶の湯入門 さあさ一服】⑤ 茶の湯の歴史

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 さて、これまで4回にわたりご紹介してまいりました茶の湯の歴史ですが、時代はいよいよ明治維新を迎えます。

 室町以来、500年に渡り武家がその発展を支え続けた茶の湯界において、尊王攘夷による武家社会の崩壊は、同時に武家主導の茶の湯の終焉を意味していました。武士の必須の教養と位置付けられていた茶の湯ですが、その基盤である武家社会の消失により茶の湯を学ぶ社会的意義はもはやなく、茶の湯人口は激減します。そんななか、明治8年に女子教育の草分けである跡見学校(現:跡見学園)が茶の湯を正式な教育科目として取り入れたことで、女子が礼節を身につける場という新たな社会的意義を取り戻します。男性のみの世界であった茶の湯に新風が吹いた出来事でした。

 一方廃藩置県により諸大名は領土を失い失職し、彼らが抱えていた茶道具の数々は行き場を無くします。そんななか、明治中期頃より新たな茶の担い手が登場しました。三井財閥 益田孝、根津財閥 根津嘉一郎、阪急東宝グループ 小林一三など維新後に台頭した経済人です。彼らは「近代」と呼ばれ旧大名家や寺院から売り立てに出された品々を蒐集し、それらを披露し楽しむ場として、また、財界人の交流の場として多数の茶会を開催しました。彼らの蒐集した品々はのちに国宝、重要文化財に指定されたものが多数あり、それらが国外に流出するのを防ぐことができた点も高く評価されています。

 またこの時代、文明開化による社会の西欧化への適応と日本文化の固有性の確立も迫られてきました。その流れを受け、明治5年に開催された京都博覧会において裏千家家元玄々斎はテーブルと椅子を用いて茶会を行う様式を考案し披露しています。また、東京美術学校(現:東京芸術大学)を創設した岡倉天心は明治39年「THE BOOK OFTEA」と題した書籍をニューヨークで出版します。茶の湯を軸に東洋の精神性、文化性を欧米と相対化し、その優位性を説いたこの著書は日清、日露戦争での日本の活躍により高まった欧米の日本への関心に答えたものでした。

 第二次大戦後は、女性の花嫁修行としての価値が見出され、広く一般の女性が茶の湯の門を叩くこととなります。しかし、女性の地位が向上し社会進出が進んだ現代において、その役割はもはやありません。また戦後は莫大な財力を茶の湯に注ぐ人も絶え、隆盛を誇った近代数寄者の流れも途絶えることとなります。

 茶道人口が減少を続ける現代において、新たな社会的意義を見いだすこと、また海外への拡大がこれからの大きな課題なのです。

長野佳嗣
茶道家・現代美術家
武道茶道上田宗箇流正教授者
info@y-nagao.jp
https://www.y-nagano.jp

《企業概況ニュース》2020年 2月号掲載

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