BLANK design 代表 / 建築設計士 宮園 聡文 さん https://blankcreations.com
ニューヨークで人気のお洒落な日本食レストランを訪れると、よく名前を耳にする設計事務所がある───『ブランク・デザイン(BLANK design)』。同社の手掛ける設計・内装は、完全なる和ではなく、和のエッセンスを取り入れた居心地の良い空間となる。得意とするのはホテルやカフェ、レストランといったコマーシャル系の設計・施工で、全体の95%がこのカテゴリーを占めている。ブランクの手掛けたレストランで働くスタッフも、独立する時には自分の店の設計を同社に依頼するなど口コミで広がり、今では北米中だけでなくヨーロッパからも多くの相談が寄せられる。
10年前にブランクを立ち上げた宮園さんは、デザイナーではなくプロジェクト全体をまとめる設計士だ。全体の予算を把握、管理し、ブローカーや業者へのディレクションを取りまとめながら〝成功するレストラン〟を生み出していく。ブランクの名が示すように、ここにあるのは空っぽの箱だけ。問題が発生すれば、デザイナーや業者、色々な関係者が寄り集まって問題を解決していく。このブランクというプラットフォームのコーディネート役が宮園さんの仕事。工事のことをいちから理解し、全てを広く浅く管理できる人材は、業界内でも非常に貴重な存在である。飲食プロジェクトを1つ立ち上げる大変さを知っていれば、目標に向かって共に伴走してくれる宮園チームの存在は心強い。
「ブランクには若い人材が集まり、次々と新しいアイデアを提案しています。でも、何かおかしなことが発生すれば、ハンマーでコンコンと軌道修正する。それが僕の役回りです。クライアントと同じ温度差を持って仕事に取り組み、そして僕がそれをハンドルできているのか───こうした部分をクライアントはじっくりと観察し、その上で信頼を持って仕事を任せてもらえているのだと思っています」。
学生の時から建築界に興味を持ち、一級建築士として福岡の建築設計事務所に就職し、福岡ドームやシーホークホテルなどの大型開発に携わった。29歳で渡米、現地の設計事務所で高層ビルの図面を引き、次の日系大手ゼネコンでは大型プロジェクトの設計や現場の設計管理に取り組んだ。当時の同僚と共に建築デザイン事務所を立ち上げ、ありとあらゆる設計・施工を経験してきたが、リーマンショックを機に仕事が激減し、自らが退くことで職を失わずに済む部下がいるはずと会社を去った。しばらくは1人だけで思ったようにやろうと、2010年に設計事務所「ブランク」を立ち上げ、現在は12人のスタッフと共にプロジェクトに立ち向かう。
宮園さんの根底には、これまで一緒に呼吸を合わせてやってきた顧客とずっと歩いていきたいという考えがある。その想いの通り、ブランクに依頼をしたクライアントは、2度、3度とブランクの電話を鳴らす。「日本で当たったフォーマットをそのまま持ち込んでいるようではダメです、アメリカ市場向けに身軽にチューンナップする気持ちがなければ、良いものを創ることは難しいと思います。オーナー自ら乗り込み、意見を戦わせ、ひとつふたつと作りながら一緒にプロジェクトを進めていく。〝かっこいい箱〟を作るのが目的ではなく〝成功するレストラン〟を作りたい挑戦者であれば、ブランク・デザインは一緒に悩みながら成功への道へと導く良きパートナーとなります」。
自らのことを「失敗することを厭わないタイプ」と表現する宮園さん。どちらかと言えば、目の前にある壁を乗り越え、解決策を見つけることに喜びを感じる。その性格から、宮園さんはブルックリンで小さな食堂「ブランク・カフェ」をテスト的に運営し、飲食店オーナーが日々感じる課題や悩みを自ら経験する場として活用する。「儲け」のためではなく「知る」ため。厨房にはどんな種類の器具があり、食材や器具を入手するにはどの業者の誰に、何を頼めば良いものが入手できるのか。値下げ交渉は可能か、ヘルスデパートメントがチェックするポイントはどこかなど、飲食店経営者としての視点を日々磨きながら設計・施工に活かしている。
「例えば、通常は専門の厨房屋が用意するキッチンや厨房も、問題が起きた時に僕たちは何もできずに歯痒い思いをするのが嫌なので、僕らは自分たちで工場に依頼し、カスタムメイドで用意したものを使用するようにしています。もちろん、問題があれば何度でも作り直す。この責任を取る覚悟が、オーナーやシェフに伝わり次へと繋がるのだと思います。飲食店経営まで知り尽くした建築家にしかできないことがあるのだということを胸を張ってお伝えしたいのです」とその想いを語る。
電話ひとつあれば仕事はできると宮園さんは笑顔を見せる。「僕の存在意義を認めて、必要としてくれる人は必ずいる。だから電話番号は永久に変えるつもりはありませんし、真夜中に電話が鳴ってもすぐに取れるようにしています。明日もまた、電話がかかってくるんだろうな───これを嫌だと感じるようになったら、働くのは辞めようかな」と話す宮園さんの右手には、しっかりと携帯電話が握られていた。