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 米政治専門家の間で「重要なのはコロナ、愚か者!(It’s the COVID, stupid!)」という言い回しが聞かれるようになった。これは1992年大統領選で勝利を収めたビル・クリントン候補の選挙参謀であったジェームズ・カービル氏が当時、選挙本部の白板に「重要なのは経済、愚か者(THE ECONOMY, STUPID)」と選挙戦略を記載し、クリントン陣営のキャッチフレーズとして流行ったものを今の時世になぞらえたものだ。ジョージ・H・W・ブッシュ政権が低迷する経済に有効な策を打ち出すことができなかった点について、クリントン選挙陣営はとことん追及する狙いがあった。だが11月大統領選で経済問題は重要であるものの、それを遥かに上回るのが不景気の主因でもあるコロナ問題だ。本稿執筆時点で米国では約60人に1人の規模まで感染者が拡大している。感染が集中している都市部では今や知り合いに感染者がいる人も多いであろう。国民生活に少なからず影響が出ている状況下、大統領選はもはやトランプ大統領のコロナ対策を問う国民投票と化している。

 勿論、コロナ危機発生自体の責任はトランプ政権にないが、その対応が事態を悪化させたと見られている。コロナ感染は州境にお構いなく拡大しているもにも関わらず、コロナ危機の対策は基本的には州政府任せである。トランプ政権は指針を示しているが全国的な戦略が欠けている。例えば、トランプ政権はいまだに全国的なコロナ検査戦略について打ち出していない。連邦政府が国防生産法(DPA)を十分に活用して、医薬品や医療機器の資源配分を管理できていないことも問題を悪化させた。トランプ政権は経済への悪影響を考慮し、経済活動の早期再開を各州政府に促したことで感染は益々悪化したとの見方が支配的だ。

 国家が危機に直面した際、大統領のリーダーシップが試される。その機会をうまく捉えて国民を団結させ有権者からの支持を伸ばすフランクリン・ルーズベルト(FDR、任期:1933~1945年)のような大統領がいる一方、その機会を台無しにして、支持を失うハーバート・フーバー(任期:1929~1933年)のような大統領もいる。トランプ大統領のコロナ危機を巡るこれまでの対応の評価は、後者のようだ。「ワシントンの沼地をさらう」と訴え、2016年大統領選以降、反エスタブリッシュメントを掲げてきたトランプ大統領はこれまで米政府機関を批判してきた。だが、危機が起きた今、日頃は政府機関に批判的な国民もそれが果たす役割に期待を寄せる。大統領はこれまで批判してきた政府機関を巧みに操り対策を打ち出さねばならず、試練に直面している。ロイター通信・IPSOS世論調査(8月10~11日実施)によると大統領のコロナ対策を支持する国民は38%であったのに対し、支持しない国民は56%にも上っている。仮に本日、大統領選が行われ、コロナ対策を問う国民投票となれば、大統領の落選は確実だ。

バイデン候補優勢で選挙開始

 リアル・クリア・ポリティックスの世論調査(8月5~18日)では、支持率の平均値で民主党のジョー・バイデン候補がトランプ大統領を7・8ポイントリード(表参照)。だが、大統領選の勝敗を最終的に決めるのは激戦州の勝敗だ。現時点で激戦州と見られているのはラストベルト3州とサンベルト3州の計6州だ(同)。この世論調査によると、激戦州6州のうち5州でバイデン候補が優勢の状況だ。2016年大統領選での選挙人獲得数(一般投票結果に従わず別の候補に投票した不誠実な選挙人除く)はトランプ候補306人、クリントン候補232人であった。したがって、バイデン候補はヒラリー・クリントン候補が勝利した州全てを堅持し、追加で38人以上の選挙人をいずれかの州の組み合わせで勝ち取れば過半数の270人に達し大統領選を制する。最も近道と考えられているのが2016年大統領選で計約7万8000票の差でクリントン候補が負けたペンシルベニア、ウィスコンシン、ミシガンの3州でバイデン候補が勝利することだ。

 2016年と2020年の大統領選が異なるのが、クリントン候補ほどバイデン候補は嫌われていないことだ。両選挙の民主党全国大会直前に実施されたABCニュース・ワシントンポスト紙世論調査の結果でそれは顕著に表れている。2016年7月、クリントン候補を好ましいと思う人の割合から好ましくないと思う人の割合を引いた純好感度はマイナス12%であった。一方、2020年8月時点のバイデン候補の純好感度はプラス4%だ。また、バイデン候補にとっては好条件であるのが、2016年と違い第三党の有力候補がいないことから、民主党支持者が第三党候補者に流れるリスクは低いことであろう。

トランプ大統領のリスキーな選挙戦略

 現時点ではバイデン候補が優勢だが、トランプ落選を確実視するのは時期尚早だ。バイデン選挙陣営も大差が開いた支持率は長続きしないと捉えている。二極化が進む米社会において選挙前に有権者は再び自らの支持政党の候補者に戻り、接戦になることが予想される。米政治は数週間あるいは数日で激変することがありうる。トランプ大統領は、①支持基盤固め、②大統領の信任投票ではなくバイデン候補との比較の構図をつくる、③ネガティブキャンペーン、といった選挙戦略を効果的に実行することで劣勢挽回を狙っている。

 1つ目はトランプ大統領が「5番街支持者」とも呼ばれる根強い支持基盤の投票率を引き上げることができるかどうかだ。政権発足以来、メディアなどで大統領批判が高まっても支持率が40%前後からほとんど下がらないのは強固な支持基盤が理由だ。バイデン候補に比べ、熱狂的な支持者が多い。ABCニュース・ワシントンポスト紙世論調査(2020年8月12~15日)によるととても熱意にあふれていると回答したバイデン支持者は48%であったのに対し、トランプ支持者は65%にも上った。トランプ陣営は激戦州を中心に集会などで支持者の個人情報収集に励んできた。2016年大統領選の際は投票所に足を運ばなかった支持者の動員を狙っている。一方、民主党支持者は、バイデン候補に熱意を感じて投票するのではなく、トランプ大統領の再選阻止のために投票。したがって、バイデン候補の支持はトランプ大統領と比較して脆弱といえよう。

 2つ目は選挙を自らのコロナ対策の信任を問うものではなく、バイデン候補との比較の構図にすり替えることに成功すれば、再選は大いにありうる。例えば、「社会主義」対「資本主義」、「エスタブリッシュメント」対「反エスタブリッシュメント」など大統領候補の政策・イデオロギーについて有権者が選択する選挙となれば、共和党支持者の多くはトランプ候補の大統領としての資質など好ましくない要素には目をつぶって票を投じることもありうる。特に2016年大統領選でも効果を発揮した移民受け入れ、銃規制、妊娠中絶、LGBT(性的少数派)などを巡る社会政策で保守派が堅持してきた社会や文化が民主党政権によって急変するリスクに晒されているといった文化戦争をトランプ陣営は再現できれば勝ち目はあるかもしれない。

 3つ目は自らの支持者の投票率を上げることよりも、バイデン支持者の投票率を下げることで勝利しようとする戦略だ。お互いの弱点を突くネガティブキャンペーンはすでに激しさを増しており、今後、泥仕合は必至だ。トランプ陣営はカマラ・ハリス副大統領候補を極左と称し、バイデン候補は極左の操り人形と描写し、無党派や民主党穏健派を引き離そうと必死だ。

劣勢のトランプ、中国がスケープゴートに

 今春、大統領は対中強硬策に大幅に舵を切った。そのきっかけは、米国内のコロナ感染拡大、そしてロックダウンにより米経済が急激に悪化し、コロナ対策の失敗で支持率を失ったことだ。そこで大統領は初動で問題があった中国に責任転嫁。大統領選では今やコロナが最大の焦点となる中、中国をスケープゴートにし、バイデン候補の中国に対する過去の弱腰姿勢を批判する論調を強めている。だが、対中強硬策はコロナ以外でも超党派で勢いを増している。両国は軍事、諜報活動、技術窃盗、人権など様々な面で米中冷戦・覇権争いが表面化している。大統領選に向けて益々緊張は高まる見通しだ。

トランプ挽回を後押しする「オクトーバーサプライズ」は起こるか

 トランプ大統領には幸運が重なるとすれば、11月までにコロナ感染の第2波を最小限にとどめると同時に、ワクチンが想定以上に早く開発されることだ。そうなれば、選挙前には経済のV字回復に国民の期待が高まっている可能性もある。また、超党派で刑事司法制度改革法案を議会で可決するなど、トランプ政権下で人種問題解決に向けて大幅な進展があるかもしれない。特にテレビ討論会におけるバイデンの失態も大統領選直前の10月に国民の選挙行動に影響を及ぼす「オクトーバーサプライズ」となる可能性もある。

 だが、トランプ大統領に残された時間は短い。大統領選は11月3日だが、9月4日より不在者投票用紙発送を開始するノースカロライナ州をはじめ郵便投票が始動。9月29日に開催予定の第1回テレビ討論会の前に既に投票している有権者も多数出てくることとなる。したがって、10月からの支持率挽回では手遅れとなる可能性もある。

郵便投票で選挙後に混乱リスク

 コロナ感染懸念から、大統領選は郵便投票が急増する見通しだ。投票所で投票する場合に比べ郵便投票は開票作業に時間を要する。そのため、選挙当日の11月3日に数千万票の開票作業が終わっていないことが想定され、翌4日以降、選挙結果を巡り大混乱となる可能性がある。今年の大統領選は、3つのリスクをはらんでいる。

 第1はコロナの影響で選挙実施体制が不十分になることだ。選挙運営は連邦政府ではなく地方自治体が担っている。全国的な連携がない中、選挙当日までに郵便投票の準備ができていない郡も出てくるかもしれない。コロナを恐れてスタッフが十分に集まらず、投票所の数が減れば人数を捌ききれず長蛇の列ができる恐れもある。

 第2はロシアなど敵対国の介入懸念だ。投票装置そのものへのサイバー攻撃の脅威もあるが、防ぐのがより困難なのが選挙後の混乱を煽る活動だ。

 第3は選挙制度への国民の信頼を蝕む大統領の発言が繰り返されていることだ。8月、トランプ大統領は、郵便投票による不正リスクについて警鐘を鳴らすと同時に米郵政公社(USPS)に対しコロナ対策で補助金を追加で付与することを渋っている。仮に不正はなかったとしても、自らに不利な結果が出た場合には不当と訴える素地を今から作っているとも指摘されている。

 特に開票作業の期間、劣勢な状況となれば、トランプ大統領および支持者は選挙結果の正当性について激しく攻撃すると予想される。選挙当日から最終結果が判明するまで開票作業が長引けば長引くほど、全米各地で社会不安が拡大するリスクは大いにある。2000年の大統領選では共和党ジョージ・W・ブッシュ候補と民主党アル・ゴア候補がフロリダ州の開票結果を巡り1ヵ月以上も対立が続いた後、ゴア候補の敗北宣言で幕を閉じた。だが、2000年では今日ほど米社会は二極化が進んでおらず、上記3点も見られなかった。したがって、今日は社会不安に発展するリスクはより高いといえよう。

「ブルーウェーブ」で米政治左傾化の可能性

 2016年大統領選は想定外の結果であったことからも、いまだに多くの国民は2016年のトラウマでトランプ大統領挽回シナリオが排除できないとも言われる。

 とはいえ、今後、トランプ政権によるコロナ問題の抜本的改善が見られない限り、米連邦議会・大統領選挙は「ブルーウェーブ(民主党のシンボルカラーである青の波)」が押し寄せるとの公算が大きい。したがって、民主党はホワイトハウスだけでなく、上院も共和党から奪う可能性が浮上している。大統領府、上下両院の3つ全てを握る「トライフェクタ(三冠)」によって、様々な政策が左にシフト
する可能性もでてきている。

 

米州住友商事 ワシントン事務所
調査部長 渡辺亮司
【略 歴】 慶応義塾大学(総合政策学部)卒業。ハーバード大学ケネディ行政大学院(行政学修士)修了。同大学院卒業時にLucius N. Littauerフェロー賞受賞。松下電器産業(現パナソニック)CIS中近東アフリカ本部、日本貿易振興機構(JETRO)海外調査部、政治リスク調査会社ユーラシアグループを経て、2013年より米州住友商事会社。2020年より現職。『東洋経済ONLINE』コラムニスト。著書に『米国通商政策リスクと対米投資・貿易』(共著、文眞堂)。

《企業概況ニュース》2020年 9月号掲載