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最終回 歪みは正し、 歪んでいないものは歪めない

【クロスロード : 世界と日本】
最終回 歪みは正し、 歪んでいないものは歪めない

「新しい資本主義」の実現のために

 岸田政権は「新しい資本主義」の実現に力を入れている。2022年1月17日の施政方針演説においても「新しい資本主義」の実現の重要性を強調し、次のように説明した。

 まず、市場に任せれば全てが上手くいくという新自由主義的な考えが、国際的に様々な弊害を生んだとし、そうした弊害の中に、格差の拡大、中長期の投資不足、気候変動問題、中間層の衰退などを位置付ける。その上で、弊害を是正する仕組みを、「成長」「分配」の両面から資本主義の中に埋め込み、資本主義がもたらす便益を最大化する、と主張する。

 岸田首相が、資本主義を否定するのではなく、あくまで資本主義のバージョンアップを考えている点は重要だ。新自由主義をどう定義するかは難しい問題だが、少なくとも「市場に任せれば全て上手くいく」という考えは修正が必要だ。この点は気候変動問題を考えると分かりやすい。二酸化炭素など温室効果ガスの排出が温暖化を生むことは、多くの科学者が認めている。もし、石炭の燃焼に何らの規制も課税もなければ、温暖化というマイナスの影響を考慮せずに石炭が過剰に燃やされる。市場に任せるのではなく、二酸化炭素の排出という「負の外部性」に課税して価格の歪みを正せば、石炭の使用を社会的に望ましい水準まで削減できる。

 以上は「負の外部性」の例だが、「正の外部性」が生じる場合もある。例えば研究開発で生まれる知見や技術は、波及効果を通じて、研究開発実施者以外にも広く便益を及ぼす「正の外部性」がある。これを市場のみに任せるのではなく、補助金や税額控除などで研究開発を支援して市場の歪みを正すことで、社会的により望ましい状況を作ることができる。教育や少子化対策なども大きな「正の外部性」があり、その支援は重要だ。

 輸入と競合する産業の保護はどうだろう。ある産業が競争力に欠け輸入に押されて業況が思わしくないときに、関税などの貿易制限措置でそうした産業を守りたくなる。しかし、こうした政策のコストは高い。セーフガード等の一時的措置はあり得るが、長期的に関税で産業を守り、その製品価格を歪める(高める)ことは、経済の効率性とダイナミズムを蝕む。むしろ、長期的にはしっかりした所得再分配措置を用意し、また、再教育や移行支援を充実させることが重要だ。なお、所得再分配は、職業や業種に紐付けるのでなく、手厚いがシンプルな「負の所得税」(所得に累進的に課税するだけではなく、所得が一定以下の場合に給付を行う)が望ましい。

 新しい資本主義は様々な要素を含むが、その実現のカギは、市場にすべてを任せないが、市場を極力活用するという姿勢だ。市場の歪みは正しつつ、歪んでいない市場は歪めない。こうしてバージョンアップした資本主義は、より豊かで公平で環境に優しい社会の実現に貢献するだろう。分権的な市場メカニズムを大事にしながら、その限界を認識し必要な修正を施す。岸田首相の「新しい資本主義」が世界の模範となることを期待したい。

(2022年1月20日、記)

大矢 伸
一般財団法人 アジア・パシフィック・イニシアティブ
上席研究員

《企業概況ニュース》2022年 2月号掲載

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