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企業の生死を分ける、転換期における正しい判断とその実行

“I have set my life upon a cast,
And I will stand the hazard of the die.”
— William Shakespeare, Richard III

 

 ニジマス釣りが解禁となったので近場のニュージャージーの川へ釣行。まだ日が出る前の薄暗がりの中、これはと思う疑似餌を投げ込んでみる。曇天の下の川面は深緑に暗く、水中は何も見えない。釣り糸はただ橋架間にうごめく闇に呑み込まれていく。(冒頭の一節はシェイクスピアの「リチャード三世」から。「賽は投げられた」というような意味。人生は賭け。)

「現場指揮官型」のリーダーから州へ

浅野山荘事件などで活躍した、かの佐々淳行氏(初代内閣安全保障室長、故人)の著作によれば、有事においては「現場指揮官」のようなリーダーが望ましいという。平時においては日本に一般的な「調整型」のリーダーで事足りるが、有事においては自らの責任で対応の断行をする「現場指揮官型」のリーダーが必要だ、というのが氏の見解だった。たしかに、重大な状況が急変する有事において、多数決や根回し(や事なかれ主義)ばかりに頼っていては、対応は後手に回ってしまう。必要となれば強硬策の断行をも辞さないという覚悟もリーダーには必要であろう。

問題に駆け寄る・通常の危機でも

危機に直面した際に責任から逃げず、時にはリーダー自らが問題の具体的解決へ飛び込んで行く意気込みが望ましいことは、通常の業務において起きる危機についても実感することがあると思う。

 例えば、多くのメンバーを巻き込んで対応している重要案件において、デッドライン直前になって何らかのテクニカルな問題が生じて「これでは間に合わない」「無理」という状況に陥ることがある。それぞれの担当や専門家もいることであり「そう言っているのなら仕方がない」「それはそういうもの」「そいつのせい」という諦めも起きたりする。そこでリーダーが部下に「何とかしろ」といくら喚いてもどうにもならないことが多い。代わりに、泥をかぶる覚悟で実際の末端の問題解決に飛び込んで対応したり、話し合うことで解決が出来るということも多い。

転換期における危機対応の難しさ

 現在は経済・国際関係・テクノロジーそれぞれにおいて大きな転換期が訪れており、すでに多くの局面での有事が訪れていると考えることも出来る。

 この転換期における有事や危機の対応には特有の困難さがある。これまでにあった状況が大きく変化することで起きる危機であるため、これまでの経緯の中で生まれたしがらみや利害関係や責任(戦犯問題)や惰性、それらのものに問題の分析や対応を妨げられやすい。すでにからまった経緯の中で抱え込んだ死活問題ゆえに、皆がお互いの顔を伺って、問題への言及を避けたり、問題への判断を避けたり、責任回避に注力したり、という状況に陥りやすい。

巨艦の急転回が必要なとき 〜ある失敗談〜

 現在のように状況が急変する中で、方針や戦略の急転回が必要となった場合、どうするのか。やはりどうしても、ある程度の決断・英断・独断専行は必要となるのではなかろうか。このような対応の難しさは、筆者も身をもって実感している。もう何年も前のことになるが、とある大企業の代理をしている際、「このままでは破綻する」という状況に陥ってしまったことがあった。まさに「ここで変えないとこの企業は破綻に追い込まれる」「しかし一つ思い切った方向転換をしたら助かる」と思われる状況であったため、(社長・会長・担当専務との話し合いのうえ)緊急取締役会において「このままでは破綻する」「苦肉の策だがこうしないと」とお伝えした。しかし力及ばず方向転換とはならず、その企業はその問題が原因となって破綻してしまった。いまだに「何とかなったのではないか」と思い起こすこともあるが、やはり外部のアドバイザー(弁護士)という立場では難しいことだったのかとも思う。

いまクリティカルな判断をどうするか

 そもそも、急展開する状況のなかで、企業を救うために、いまやるべきことは何なのか? 例えば、経済等においては、刺激緩和による人工的バブルでこれまで「みんなで渡れば怖くない」で来たのが、現実にぶつかってしまっているという局面。大きな航路変更、戦略の大転換も必要かもしれない時期。損切もあろうし、撤退戦の開始もあろう。起死回生の一手もどこかに潜んでいるかもしれず、混乱の中に新たなチャンスも現れてくるであろう。戦犯探しや責任のなすり合いはさておいて、いますべきことは何であるのか、その判断が必要。しかし、いわゆる専門家達にはいわゆる何かを売る立場の者も多いため、そのアドバイスはあてにならないかもしれない。いまは学者もしかり。マスコミも含めて、様々な思惑や迎合による雑音も多い。

 自他それぞれの利害関係やインセンティブを理解したうえで、バイアスを取り除いた、もしくはバイアスを考慮したうえでの、情報の分析と理解に基づいた判断が必要となるだろう。これは最終的には孤独な判断であると思う。そこに本当のリーダーの孤独があるのだろう。しかし、企業のクリティカルな状況において、その重圧に耐えて難しい判断をすることこそがリーダーの本領なのではなかろうか。

オポッサムのお告げ

 近場でのニジマス釣りは雑魚が少しかかっただけで釣果ゼロだった。橋のうえで仕掛けを片付けていると、後ろから「ガサゴソ」「フガフガ」と近づいてくるものがある。振り返ると体長60センチはあるオポッサムである。こちらと目が合ってもまだ寄ってくるので「ごめんな」「食べ物は持っていないんだよ」と伝えると、また「フガフガ」と愚痴りながら去って行った。アメリカの言い伝えでは、オポッサムが寄ってくるのは「アナタの進んでいる道は間違っていない」とのお告げだという。

齋藤 康弘
米国訴訟弁護士
SAITO LAW GROUP PLLC
saito@saitolawgroup.com
www.saitolawgroup.com

 

《企業概況ニュース》2023年5月号掲載