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Mr. Japanese(ミスター・ジャパニーズ) 石井ゆかり 副社長

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Mr. Japanese(ミスター・ジャパニーズ)
石井ゆかり 副社長
www.mrjapanese.com

 

独自データベースで、最適な人材マッチングを実現

世界最大級の人材紹介会社「マネージメント・リクルーターズ」と、20年に渡るフランチャイズ契約を交わしたのが1992年。自らの強みを打ち出すために、日系企業への人材紹介・派遣業に特化する「マネージメント・リクルーターズ・ジャパニーズ」をスタートさせた。全世界1,300社のチェーン店の中で、常にトップ50社としての実績を誇り、20年の契約満了により今年1月同グループを脱退した。社名をユナイテッド・リクルーターズと改名し、その日系部門「ミスター・ジャパニーズ」の担当として『人材は人財』をモットーに、ビジネスを展開する。

テネシー州マーフリスボローに本拠地を置くことから、中西部・南部での事業を強みとしているが、同社の業務は全米に広がる。人材業界は、景気に直結しており、景気が良い時はいいが、不景気にはその影響をまともに受けてしまう。「このボリュームコントロールが難しいんです」。しかし、同社がもうひとつの強みとするのは独自開発のデータベースだ。チェーン店のネットワークを駆使して20年以上に亘って築き上げた情報は膨大で、データーベースには五千万人以上の履歴書が収められている。そして独自のプログラミング開発により、いかなる職種に於いても、求められる優秀な人材を迅速に絞り込むシステムを持つ。「リクルーターは凄腕のお見合いおばさんなんです。この豊富なデータベースをフル活用して、最適なマッチングを見つけ出しますよ」と、石井さんは目を輝かせる。

これまでも、アラバマ州で不動産をはじめ、様々なビジネスに挑んできた。しかし、25年前の南部には人種差別が根強く残り、石井さんも度重なる差別や迫害に悩まされ続けたという。その結果、最後は逃げるようにその街を離れ、日産自動車が本社を構えるテネシー州へと拠点を移した。そこで日系企業で働くアメリカ市民の日本人への対応やその暖かさに驚き、そして涙が出た。その時この地で、日本とアメリカの橋渡しになる事業を始めようと決意した。

20年に亘り中部テネシー日本語補習校の教頭も務めている。「中学生だった教え子達が立派なバイリンガルの人材に育ち、就職活動を手伝う事はとても楽しいですよ。最近は教え子達が駐在員として赴任し、クライアントとして人材紹介の依頼をくれるようにもなりました。嬉しいですが、自分の歳を感じちゃいますね。」と石井さんは笑う。

ジャパン・アメリカン・ソサエティのボードメンバーとしても幅広く活躍する石井さん。日米の橋渡しとして、桜祭の桜の植樹などに力を注ぐ。最近では、ナッシュビル姉妹都市のコミッティーメンバーとして、ナッシュビルと鎌倉市の姉妹都市実現に向けて奔走、提携することが決定している。

個人的には、ご主人がテネシー大学の最初の交換留学生だったこともあり、ご主人と共にテネシー大学で基金を設立し、この十年間で毎年十名前後のアメリカ人学生の海外留学をサポートしている。またテネシー州の日本語スピーチコンテストのスポンサーとしても、日本語を修得する学生達を支援している。

今後も益々ビジネスを拡張し、ジャパンチームを増強する予定だ。そしてビジネスを託す人材を育てる時期にも差し掛かっていると石井さんは言う。一朝一夕にはどうにもならないことなので、少しずつ進めていきたいと考えている。