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米国実務最前線 実践からのアドバイス
激動期のビジネス:「この期に及んで楽観主義」は正しいのか?
それとも致命傷のもとか?

【企業不祥事と闘う】
米国実務最前線 実践からのアドバイス
激動期のビジネス:「この期に及んで楽観主義」は正しいのか?
それとも致命傷のもとか?

逆境に勝つ「絶望のなかでの楽観」

 人生において、時に楽観は必要である。それなりの挑戦をして生きていれば、失敗や挫折は避け難い。八方ふさがりの絶望的な状況になることだってあろう。そんな逆境を乗り切るには、落ち込む自分の精神を鼓舞し、ネガティブな気持ちから起きるマイナスの連鎖を止め、そして再起逆転のチャンスを見いだす視座を持たねばならない。そうした復活に必要な要素の源となるのが、目前の暗闇の向こうの明日に希望を見いだす力、つまり楽観である。つまり、楽観とは、逆境を跳ね返す原動力だ、とも言える。もっと言うと、誰もが悲観または絶望する状況において楽観できるということは、創造力に満ちた強靭な精神を所持しているということで、状況打開のパワーを発揮する才能があるというでもある。

破綻を生む「安易な楽観」

 その一方で、破綻を生む楽観というものもある。安易な楽観とでも呼ぼうか。単なる「甘え」もしくは「見通しの甘さ」とも似ている。「いままで調子が良かったからこれからも調子がいいだろう」「みんなが大丈夫というから大丈夫だろう」という、いわば迎合や惰性による楽観である。この楽観は、単なる迎合主義であるので、それには創造力も強い精神もいらず、思考能力も不要である。何となく人に合わせていれば持つことが出来る感覚でしかない。

 そして当然ながら、根拠希薄な展望であるので、いつかどこかで状況が暗転して痛い目に会うこととなる。

バブル期の楽観主義

 景気のバブルは、このような集団心理的で根拠希薄な楽観が市場で多数派化した段階である。そしてバブルが続く限り、このような安易な楽観が更なる迎合的な楽観を生むという増殖の現象が起きる。市場はずっと右肩上がりで、とにかく倍掛けをし続ければ勝つような状態が続くため、いかに無根拠な楽観でも、それが当座は「正しい」「報われる」状況が続くことになるからだ。このような時期には、元来の性格として楽観主義に走りやすい人材が台頭し登用される傾向となるし、それぞれの個人の思考においても根拠の無い楽観主義に傾きがちとなる。更にバブル期が長く続くと、迎合主義としての楽観が更にもてはやされて蔓延し、冷静なリスク分析などの現実的な声を「ネガティブ思考」等といって見下し排除しようとする風潮となったりもする。しかしながら、日本がバブル崩壊でも学んだように、こういった空虚な楽観主義は、どこかで現実と言う壁にぶち当たり、そして打ち砕けるときがくる

甘い楽観で消えていった企業たち

 これまでの変動期においても、楽観の落とし穴にはまって消えていった企業は多い。筆者が過去に対応した破綻案件も、大多数がそのパターンだった。つまり、状況の変化を読めず、惰性による楽観から舵取りを誤ったというケース。例えば、監督当局に「もうひと山くれば大丈夫」と言われて巨額の粉飾を続けた山一証券しかり、バブリーなクライエント(エンロン)への過度な肩入れを続けたアーサー・アンダーセンしかり、そしてリスキーな投資から逃げ遅れたリーマン・ブラザーズしかりである。

近年の楽観主義

 これはリーマン危機前後から目立つようになったことだが、「市場は感情で動く」「だから楽観論を言うべき」「悲観論はけしからん」という論調を耳にするようになった。(本来は「市場は感情で動く」「だからこそ移ろう感情だけでなく、経済的な根拠を見据えた分析をしよう」となるべき。)そのような論調に関しては、楽観への迎合主義の行き過ぎに過ぎないのではないか、と批判されてもしようがあるまい。バブル末期の危険な兆候の一つであるとの見方もあるだろう。なお、他方では、コロナ禍や景気変動やその他の理由で、いまこの瞬間にも押し寄せる危機に押しつぶされそうになりながら、必死に悲観を跳ね返して明日の行動へとつないでいる人達もいるはずだ。この楽観については、あながち間違っているとは言えない。

「状況判断は現実主義で」・「行動は楽観主義で」

 そもそも市況を含めた状況の判断の際に、楽観というバイアスをかけるのはおかしな話である。状況やリスクの分析・判断においては、現実主義が原則であり、場合によっては悲観主義が適切だろう。楽観が有用なのは、悲観や絶望により行動や思考が停止しそうになった場合のカンフル剤としてだろう。いくら状況分析が正しくても、状況に足がすくんで行動が出来なかったり、次のチャンスを発見する気概が無くなってしまっては、状況の打破は出来ない。そのような際の行動や思考の起爆剤としての楽観は重要であると思う。少し別の視点から言うと「皆が楽観しているときは悲観主義」「皆が悲観しているときは楽観主義」という態度が、おそらく実際には正確な状況判断へ繋がるのではないかとも思われる。「澄んだ目と熱い魂があれば、決して負けない」と意訳したが、英語の原文は「Clear eyes, full hearts, can’t lose」。「Friday Night Lights」というアメリカの高校のアメフト・チームを舞台としたテレビドラマで、試合前にチーム全員が一斉に唱える言葉だ。勝利するためには、澱まぬ目で冷静な状況判断を行い、明日への希望に鼓舞された魂で行動しなくてはならない。激動の時代、いたずらな楽観主義に逃避をしていては企業にとっても個人にとっても命とりとなりかねない。直面する厳しい現実をしっかりと見据える強さとシビアさを持つと同時に、迫りくる困難におしつぶされない精神と明日の行動の糧としての楽観の視点を持つことも時には必要となろう。

 

SAITO LAW GROUP PLLC
米国訴訟弁護士 齋藤康弘

《企業概況ニュース》2020年 09月号掲載