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NYのレストラン業界で20年 自身のルーツを料理に込めて

Norikoh: Kristina Pan
      Norikoh           オーナー クリスティーナ・ノリコ・パン氏

20年にわたりレストラン業界に携わり、日本食の要素を多く取り入れたアジアン・フュージョンレストランNorikohのオーナーであるクリスティーナ・ノリコ・パンさんが、昨年末マンハッタンのチェルシーにNorikohの2店舗目をグランドオープンさせた。

 パンさんは台湾の出身で、日系レストラン業界で働く以前から日本の食や文化との関りがあった。台湾が日本の占領下にあった影響で、パンさんの祖母が日本料理に親しんでおり、そのおばあさんが作る日本食を食べて育った背景がある。家族の歴史的背景を知らずに、パンさんはそれを台湾料理だと思って育った。他の移民の人々と同様に、アメリカンドリームを追って30年以上前に渡米。そして2000年、ベニハナに買収された日本のフュージョンレストランHaru Sushiにホステスとして入社し、レストランオーナーになる旅に出た。パンさんは、Haruの創業者であるバーバラ・松村氏と一緒に仕事ができ、とても幸運だったと言う。彼女はHaruに入社し僅か3カ月でアシスタントマネージャーに昇進した。その後一度Haruを去ったが、2年後にまた配達部門の営業担当者としてHaruに戻り、ピーク時には440万ドルの収益を達成。更に2年後、Haruのタイムズスクエア支店のゼネラル・マネージャーに昇進した。Haruに12年務めた彼女は「自分のために何かをする」と心に決めHaruを退職。資金援助などを殆ど受けずにレストランをオープンすることは困難だったが、2014年、Haruでの経験から得たレストラン経営の知識を活かし、マンハッタンの東 39丁目に最初のNorikohを開店した。

 店は当初寿司レストランとしてスタートしたが、当時のメニューで唯一のラーメンであったNorikohラーメンが、顧客の間で人気となり「お客さんが私のラーメンを(他の有名チェーン店と)比較しても好んでくれていると分かり、ラーメンに力を入れるきっかけになった」とパンさんは言い、シェフと協力し現在のメニューにある多種多様なラーメンメニューを作った。更に、彼女のバックグラウンドを表現するため、伝統的な台湾のビーフヌードルスープをメニューに加えた。長年にわたり、市内のアジア料理愛好家の間で人気を博し、Norikoh二店舗目の開店に至った。

 レストラン経営について「人が非常に重要」とパンさんは話す。 これまでの経験から、リーダーとしてスタッフ全員にそれぞれの役割を把握させ、全員が同じ足並みであることを常に確認することが重要であると気づいたという。「自分で自分を成功した人だと言いたくありませんが、私を助けてくれる適切な人を見つけることの重要性を私は知っています」とパンさん。Norikohでの相互目標に向かって喜んで協力できるチーム作り、従業員の幸福感を保つことを重視しており「お金は重要ですが、ビジネスを動かしているのは人です。従業員の幸せを保つ鍵は信頼です。規律は求めますが(信頼関係を保つためにも)すべてを監督することはしません」。

 レストラン経営で重要なもう1つの要素について、Norikohでは、高品質の食品をリーズナブルな価格で提供するよう努めており、経済が悪化しても品質の維持を重視している。メニューに載せる前に全ての料理を確認し、濃縮物は使わない。料理は全て一から作られている。 「店で出す料理には非常に自信があります。全ての食品が高品質であることを確認し、心を込めて作っています」とパンさん。

 Norikohの二店舗目がオープンしたばかりだが、パンさんは既に今後の拡大、チェーン展開も考えている。「実現できるかどうかはわかりませんが、試してみます。引退するまでに、10年、できるだけ大きくしたいです」。 Norikoh Izakaya Dinner Set 《企業概況ニュース》2020年 4月号掲載

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